「流行感冒」(志賀直哉)

日常をありのままに描いて小説になる

「流行感冒」(志賀直哉)
(「百年文庫004 秋」)ポプラ社

最初の子を
病で死なせてしまった「私」は、
最愛の娘のために、
家族の衛生面に
神経質なまでに気を配る。
流行感冒が町に流行りだした秋、
「私」は家人の外出を制限する。
折しも町では旅役者の夜興業が
行われようとしていた…。

流行感冒とは当時のスペイン風邪、
つまりはインフルエンザです。
現代でこそ
衛生環境が格段に良くなり、
予防接種も定着したため、
あまり大騒ぎされませんが、
本作執筆同時(1918年)頃には、
日本で48万人、
全世界では5000万~1億人が死亡した、
まさにパンデミックだったのです。

したがって、
この「私」の神経質ぶりはあながち
心配しすぎではないのでしょう。
でも、そのやりとりが滑稽なのです。

妻だけではなく女中にも
芝居見物に出掛けるのを禁じます。
でもそこは若い年頃の娘です。
観に行きたいに決まっています。
女中の石は嘘をついて
芝居を見に行ってしまうのです。
怒った「私」は
彼女をクビにしようとするのですが、
妻に止められ、
仕方なくそのまま家においておきます。

あれだけ細心の注意を払っていたのに、
家中に感冒を持ち込んだのは
こともあろうに「私」自身。
「私」から妻にうつり、
もう一人の女中にもうつり、
看護婦にもうつり、
ついには幼い娘にも
うつってしまいます。

そんな中、風邪にかからず、
家人を甲斐甲斐しく看病したのが
何と石なのです。
「私」の石に対する怒りは解け、
むしろ好感を抱くまでになるのです。

「楽しみにしていた芝居がある、
 嘘をついて出掛けた、
 嘘をつく単純な気持は、
 困っているから
 出来るだけ働こうと云う気持ちと
 石ではそう別々な所から
 出たものではない気がした。」

そうなのです。
一人の人間には、
好ましからざる面もあれば
素晴らしい一面もあるのです。

この「私」の心の動きが
実によく伝わってくるのです。
平気で嘘をついた
石への苦々しい気持ちも
そのまま表されていれば、
一家の一大事に奮闘した
石に対する感謝の念も
素直に綴られているのです。

作品の多くが
私小説である志賀直哉です。
「私」=直哉なのでしょう。
嫌悪から受容に至る心の変化が、
飾ることなく
ありのままに描かれています。
書かれてあることはほとんど日常。
日常をありのままに描いて
小説になるのが志賀直哉。
さすが小説の神さまです。

(2018.9.28)

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

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